【正規留学から現地就職】日本と台湾の架け橋を目指し選んだ進路。そこで気付いた「国際人」になるための一歩とは

こんにちは!WIUマーケティング担当のMiyuです。
「そもそもワーホリでどんな経験ができるのか」「ワーホリから帰国後に次のステップに繋げることができた人は、どんな過ごし方をしたのか」……
ワーホリの形は十人十色。だからこそ、準備や現地での過ごし方、帰国後のキャリアなど、迷う方も多いのではないでしょうか?

ワーホリ経験を通して自分らしく輝いて生きている方のストーリーを取材し、お伝えしていきます。

今回は、大学から正規生として台湾に留学し、現地就職を経て活躍している聡子さんのストーリーをお届けします!


ー 今の職業とやっていることについて教えてください

HIS傘下の株式会社アクティビティジャパンという会社で営業のお仕事をしています。
具体的には、じゃらんさんみたいなサイトでアクティビティに特化した旅ナカのOTA(Online Travel Agent)ですね。
今年に入って台湾のOTAであるKKdayという最大手のグループに加わったので、
台湾のツールも持ちつつ日本国内の集客も出来ますよ、みたいな形で日本国内のアクティビティ業者さんに営業という形で
毎日ご連絡させていただいています。


ー海外に挑戦した理由について教えてください

両親が教師だったこともあり、小さい頃からALTの先生と交流したり、
中高はグローバル教育に力を入れている学校に通っていたので、海外は身近な存在でした。

私は宮城県の仙台出身で、3.11を経験しました。
その際に台湾から多額の寄付をいただいたことから台湾という国を認識し、その年に初めて台湾に行きました。
そこで、色々な方との出会いがあって、本当に感銘を受けて。ここに住みたい!と思いました。
日本に帰国して台湾に行くためにコツコツと準備を始め、台湾の大学に正規生として入学しました。


ー海外に行くまでにどんな準備をしましたか?また、今振り返ってみてした方が良かったことはありますか?

先ほどのきっかけは高校2年生の時なので、そこから準備を始めました。

私の時は、台湾の大学へは書類審査だったので、中国語・英語・高校の成績が見られたんです。
なので、学校の勉強を頑張りつつ、中国語は塾に通って2000時間勉強しました。

英語に関しては、英検を取りに行ったり。
あとTOEFLも受けたんですけど、それは点数がめちゃくちゃ低かったので出しませんでした(笑)

中国語の勉強は基本は塾で。
他には中国語でドラマを見たりとか、日常の中で街に溢れている漢字を見て、中国語で読んでみたり
意味は日本語と中国語で異なるし、漢字自体も少し違う部分はあるのですが、読み方の練習にはなるので、無意識にやっていましたね。

グローバルな校風だったこともあり、海外大学に正規生として入学を希望する同級生は他にも何人かいました。
あとは、台湾大学進学予備校っていうサポートセンターが日本全国にあるんですけど、その方々が学校で説明会を開いてくれて、
入学まで手厚いサポートをしてくれたので、スムーズに準備が出来ました。

今思えばやっておいた方が良かったことは思いつかないくらい、準備はやり切りました
強いて言うなら、現地での授業で、英語で書いてある教科書を使うこともあったので、
英語をもう少し出来るようになっておけば良かったです。
日本人で英語が出来ますと言う人と台湾人で英語が出来ますと言う人のレベルが違うなと感じるくらい、
台湾人の英語力はすごく高かったです。

語学留学や日本からの交換留学など、正規生として留学する以外に他にも手段はありましたが、
私自身は正規留学を選んで良かったなと思っています。
現地の言葉で授業を受け、単位を取ってという中で、4年間で身に付く語学力が全然違うと感じます。


ー実際に現地ではどのような経験をしましたか?またその経験は今のご自身にどう繋がっていますか?

大学での4年間めちゃくちゃ楽しかったし、世界中に友達が出来たことが自分の財産になりました。
大学1年目には同級生に日本人が1人しかいない環境で、親しくなったマレーシア人のマレーシアの家に1ヶ月滞在させてもらったり、
2年目には多国籍なメンバーとルームシェアを経験し、日本には無い刺激をもらったり。

勉強は最初から一番壁にぶち当たったことですね。0点取ったりとかしてましたし(笑)
そこからどうやって単位取れるか考えた時に、先生にレポート書くから点数に変えてくださいと直談判したりとか、
とにかく私は良い意味でも悪い意味でも外国人なんだから、その存在を認識してもらうことをまずは1年生の時にやっていて。

自己紹介の時に日本から来ましたって言ったら、
先生が”大変だろうから中国語じゃなくて英語でレポート書いていいよ”って言ってくれて。
でも実は中国語より英語の方が苦手なんですって言ったらすごく笑ってもらって、それで覚えてもらったりとか(笑)

その場で考えて記述する問題は難しかったので、事前に先輩から過去問をもらって回答を何十回も書いて覚えたりとか。
1年目は本当に辛かったので、逆に日本の大学に交換留学することも考えましたね(笑)

そんな時に担任の先生から、”あなたは日本人としてこのクラスにいるっていうことが台湾人のみんな、クラスのみんなにとっても良い刺激なんだよ。だからあなただけのことじゃなくて、あなたがいることで視野が広がっていく人もいるから頑張ってみない?”って言われて。
それで背中を押してもらい、最後まで頑張ることが出来ました。

その他では、日台若手交流会を立ち上げて運営したことが、勉強以外で一番力を入れたし、楽しかったことです。
もともと日本と台湾の繋がりにすごく興味があって国際関係学部に行ったんですけど、
その中に日本語学部というのがあって、台湾人が日本語を勉強していました。

他に、大学に併設されていた語学センターでは日本人が中国語を勉強していて、でもクラスメイトは外国人だけ。
その状況にニーズがあるなと感じて
それぞれ、日本人と知り合いたい、台湾人と知り合いたい。両者をうまく繋げられないかなと思って、
日台若手交流会を立ち上げて、幹部組織も作って、月1くらいでボーリングやカラオケに行ったりしました。

色んな人たちの中で生き延びていく経験を通して、知らない人と打ち解けるスキルは今の自分に繋がっていると思います。
最初は言語の壁もあったし、その中でどう相手に私という人間が良い人間だと感じてもらえるのかということで、立ち振る舞いとか、表情の一つであったりとかが全然変わってきます。
意識をしていたわけではないんですけど、日々の積み重ねで、どう相手の懐に入っていけるのかというのは4年、台湾には全部で8年間いたので培ってきました。
その経験が今の営業職に繋がっているなと思います。

例えば台湾で台湾人と打ち解けるには、基本的に私は中国語を使っていたのですが、あえて台湾語を使ってみるとか。
挨拶や美味しい!とかね。
あとは、台湾語できる?って必ず聞かれるので、台湾語出来ませんって台湾語で言ったりするとめちゃくちゃウケるんですよ(笑)


ー台湾で、自分の価値観が変わった経験はありましたか?

台湾では、戦時中の日本の統治時代の影響で、おじいちゃんおばあちゃん世代が私たちよりも綺麗な日本語を話すんですよ。
私が日本人として恥ずかしいと思うくらい、日本文化もすごく理解していて、それを私たち以上に大切にされていて、それがすごく衝撃的だったんです。

その経験がきっかけになって日台関係に興味を持ったんですけど、そこから日本の外に出てみて、
改めて日本に居続けたら見過ごしてしまったであろうことも含め、外から日本を見ることが出来た。
日本の教科書には載っていないことを、生き証人として色々教えて下さって、毎回発見の連続でした。
その方々の年齢もあって、早く台湾に行って学んで、日本人に伝えなければと。使命感を持ちました。


ー卒業後は、どのようにお仕事を探しましたか?

台湾に宮城県の観光のサポートデスクがあって、台湾で宮城県のプロモーションをするというお仕事だったんです。
宮城出身の私にとってこんな幸せなお仕事はないなと思って、そこにアポ無しで飛び込みました。
こんにちは!っ言って、自己紹介して色々話したらすごく気に入って下さって。就労ビザも出すからと言って下さって、それで決まりました。
今思えば、色んな常識とか知らなかったからこそ出来たことですね(笑)全部ご縁です。

現地の大学を卒業しているので、他の外国人に比べると就労ビザは取りやすかったと思いますが、お給料の面では現地就職だと下がるので、そこはアンフェアだなと思っちゃいましたね。
そこからの転職活動は3ヶ月くらい全然決まらなくて大変でした。

その時は、日本でいうパソナやリクルートみたいな大手求職サイトに登録して、毎日のように求人を見ていました。
日本のように長く勤める方が良くて、短期間で辞めると履歴書に傷が付くみたいな考え方は台湾になくて、周りもよく転職する人が多かったです。むしろ、色んな経験をしていて面白いと捉えられますね。

ただ私自身はやはりビザの壁があって、日本人で中国語を話せる人材か、台湾人で日本語を話せる人材のどちらを取るかと言うと、断然安く雇える台湾人なんです。その中で、どう日本人であるメリットを活かして自分を売り込んでいくのかと言うことをずっと考えていました。

なかなか決まらない中で、親にもう日本に帰ってきたら?と言われたんですけど、それは絶対嫌だと思って。
複数応募して並行して就活を進めるのではなく、1つ応募して結果を待ってという形で進めたので、決まるまで3ヶ月かかってしまいました。
それでも、台湾の大学を出た日本人の90%は日本に帰国して就活をしているの現状の中で「この日本人は他の人と違っておもしろい!」って思ってもらえたこと、
仕事柄日本の自治体とやり取りをすることが多く、やはり日本人が窓口を担当するメリットもあり、最終的には同じような会社に就職できました。
その会社で2年ほど働いた後、今の勤め先である台湾のKKdayに現地で転職して、日本の事業部で働くために帰国しました。


ー最後に、これから海外に留学やワーホリ行く人に、知っておいて欲しいことを教えてください

事前に現地の言葉を勉強しているかどうかで、吸収力も楽しめる程度も全然違います。
もちろん語学は現地でも学べるものではありますが、その時間の使い方って勿体無いですよね。

言語って無理すると嫌になったり飽きたり挫折しちゃうものだと思うので、
自分は現地で素晴らしい体験をするために今頑張っているんだと自己暗示をかけて、少しずつでも勉強していって欲しいです。

あとは、他の方も仰っていることかも知れませんが、私たちは日本の外に一歩出たら日本の外交官というか、日本を代表する人間です。
日本人としてのプライドを持って、日本をまず知るという事が、周りに回って国際人になる一歩だと思うので。

私自身今振り返って、着物を着れたりお抹茶たてられたりとか、一つでもそういうのが出来ていたらと思うので、それはメッセージとして伝えたいです。

現地での効果的な過ごし方としては、とにかく色んな場所を旅して、現地の人に可愛がってもらうこと。
色んな文化を教えてもらったり、色んな場所に連れて行ってもらう。美味しいものを食べさせてもらう。
現地の言葉ができると、人として面白いなと思ってもらって、繋がりができる。
そして、やってもらってばかりじゃなく、いつか仙台に来たときは連絡してねって絆が生まれる。
そんな体験をして欲しいなと思いますね。


いかがでしたでしょうか?

語学留学や交換留学でなく、正規生として台湾に渡った聡子さん。
当たり前に出来ることのレベルが高い中で、たくさんの苦労があったと思いますが、外国人としての自分、日本人としての自分を見つめ表現していくことが、国際人としての一歩だったというお話しは、とても印象的でした。

ワーホリ国際大学校(WIU)では、このように留学やワーキングホリデーを経験し、その経験を活かして自分らしく活躍している方へのインタビューを行っております。なぜなら私たちは、実際に経験している人の話を聞き、知ることで、将来のキャリアに対してのアイデアを広げることができると考えています。知らないことは思いつきません。他の方のインタビュー記事や動画も是非見てみてください!

WIUは、あなたのやりたいを実現させるために存在します。一人ひとり夢は違うので、みんなが同じように語学学校などに行ってもやりたいことはなかなか叶いません。だからこそ、あなたが興味を持っていることから満足のいくキャリアを築けるようにサポートさせていただきます。まずは気軽にご相談ください!きっと今思っているワーホリとは違う提案ができると思います。