【4年越しの海外留学】夢も希望もなかった女子高生が、国際協力機関を舞台に活躍するまでのストーリー
こんにちは!WIUマーケティング担当のMiyuです。
「そもそもワーホリでどんな経験ができるのか」「ワーホリから帰国後に次のステップに繋げることができた人は、どんな過ごし方をしたのか」……
ワーホリの形は十人十色。だからこそ、準備や現地での過ごし方、帰国後のキャリアなど、迷う方も多いのではないでしょうか?
ワーホリ経験を通して自分らしく輝いて生きている方のストーリーを取材し、お伝えしていきます。
今回は、日本で短大卒業後にカナダの大学に編入し、卒業後は主にJICAを舞台に活躍したTomomiさんのストーリーをお届けします!
ー 今の職業とやっていることについて教えてください
今はヒプノセラピストをやっております。
このセラピーは日本語では『催眠療法』と言います。
簡単に説明しますと、『催眠』というのは潜在意識と顕在意識がつながっている状態の事を言います。
潜在意識は人間の記憶の貯蔵庫で、今まで経験したこと全てが記録されています。
なので、顕在意識と潜在意識が繋がることによって、今はもう覚えていない記憶を思い出すことができます。
その貯蔵庫の中にある原因となっている過去の記憶(出来事)を見つけ、癒すことによって、
今抱えている問題や課題、気になっている癖を解消するセラピーです。
国際派キャリアからヒーリング業界に転身した理由はいくつかあるのですが、
一番大きな理由は、家と職場の往復でプライベートがほとんどないワーキングスタイルに
心身ともに限界を感じ始めたことが一番の理由ですね。
それまでは、「英語」と「コミュニケーション能力」を強みとして転職活動していたのですが、
同じように転職活動しても、会社は変われど、ワーキングスタイルは変わらないだろうなと思ったんです。
なので、「まだ自分が気づいていない才能があるはずだから、まずはそれを見つけてみよう!」と思い、
今まで興味があったけど、やってこなかったことを一通り全部やってみたんです。
そのやってみたことの一つがヒプノセラピーだったのですが、
色々やった中で、ヒプノセラピーが一番最強のセラピーだと思ったので、
これを皆に広めたいと思い、ヒプノセラピストとしてのキャリアをスタートさせました。
ー海外に挑戦しようと思ったきっかけについて教えてください
留学に挑戦しようと思った原体験は、高校2年生の時に参加したサマーキャンプでの経験です。
実は私はそれまでんです(笑)
私は名古屋出身なのですが、
高校2年生の時に、地元の高校生とその界隈に交換留学で来ている留学生が交流できるサマーキャンプに参加したのがきっかけとなりました。
そこで出会った留学生の皆さんが来日半年も経っていないのに日本語がすごく上手だったんです。
あまりに上手だったので最初は「母国で日本語を勉強してから来たのかな」と思い聞いてみたら、
「日本に来る飛行機の中で僕が知っていた単語はこんにちは、ごめんなさい、1・2・3の5単語だよ」と(笑)
なのに、当時、英語が喋れなかった私と日本語で喋っても全く違和感ないぐらいペラペラだったんです。
他の子もすごく流暢に日本語を喋っていたので、
私も今は英語が話せないけど、海外に行ったらこれぐらい英語が喋れるようになるのかなって思ったのがひとつ。
もうひとつは、私が一番影響を受けたアメリカ人の子がいて、「僕の夢はアメリカの大統領になることだ」って言ったんですよ。
「今は高校生だけど、ハーバードのロースクールに進んで、政治家になって、大統領になる。勉強が好きだからなれると思うんだよね」って当たり前のことのように皆んなに話していたんです。
それを聞いた時、夢も希望も無い高校生の私は、純粋に”なんてすごいんだ”って思ったんですよね。
実際に大統領になれるかはともかく、それを堂々と人前で話せるメンタリティがすごいと思ったし、
そんな前向きなメンタリティが作られる環境を見てみたい。
もし同じ環境で私も育ったとしたら、そういう大きな夢を描けていたのかなってすごく興味を持ったんですよね。
それが、留学したいと思った最初のきっかけでした。
ー原体験から、実際に留学に挑戦し、帰国するまでの経緯を教えてください
サマーキャンプ後、留学したい欲求が湧いて(笑)
高校3年生から1年間、交換留学に挑戦したいと思って両親に相談したのですが、
自分が行ったこともないような知らない国に娘を送り出すことはとてもじゃないけど出来ないって言われて。
それだったら夏休みだけでもとお願いして、ニュージーランドに6週間ホームステイできる短期留学させてもらいました。
ただこの経験が、更に私を海外に行きたいと思わせるようになって(笑)
日本のお母さんとニュージーランドのお母さんが真逆だったんです。
日本のお母さんは褒めることをしなかったのですが、
ニュージーランドのお母さんは愛情たっぷりで、何でも褒めてくれる方だったんです。
最初は、驚きや戸惑い、照れくささもあったのですが、
徐々に”あれ、私ってすごいのかな?”と調子に乗せられたみたいなところがあって(笑)
すごく居心地がよくて、ここは私の居場所だと感じて、大学は海外の大学に留学したいと心から思いました。
でも、既に高校3年生の夏休みの出来事だったので、準備期間が短かったことと親の猛反対もあり、その時は推薦で短大に進みました。
短大入学後は、勉強よりバイトの方が本業なんじゃないかって思うぐらいバイトをしてお金を貯めて、
1年後の春休みには5週間ボストンの語学学校に短期留学したり、海外の大学入学に必要なTOEFLの勉強をしたりして、
私は海外に行きたい、普通の道を歩まない!ということを、頑なに両親に態度で伝えました。
卒業後は父親の会社でバイトとして雇ってもらいながら、英語の勉強をしていたのですが、
卒業して1年が過ぎようとしていた頃、母が、
「ずっとそうしてても歳を食っちゃうだけだから、早く行って早く帰ってきなさい」ってようやく折れてくれて。
4年間の粘り勝ちで留学許可が出ました(笑)
そして、21歳の夏、晴れてカナダに留学しました。
卒業までに40単位必要だったのですが、短大での単位を17単位変換してもらえたので、
約2年弱分の単位を認めてもらえたのでラッキーでした。
また、英語圏の大学でフランス語を専攻していたので、在学中にフランスにも半年間交換留学に行けて、
「いつかフランスに住んでみたい!」という夢も意外に早く叶いました。笑
カナダで自分の居場所を見つけてしまって日本に帰りたくなくて、
大学卒業後は、こっちで就職するんだ!と言ってケベックシティの現地ガイドをやったり、
お友達の仕事を手伝わさせてもらったりしながら就活をしつつ1年半ぐらい頑張っていたんですけど、
最終的に就労ビザを出してくれる会社が見つからず、不本意ながら帰国しました。
日本での正社員としての職歴が無く、
カナダで卒業した学部も語学という中途半端な科目だったので、難しかったです。
20年前の情報なので今に当てはまるかは分かりませんが、
カナダは移民の国ということもあり、
少なくとも当時は就労ビザを申請するよりも、永住権を申請した方が簡単と言われていました。
特に、私のようにカナダの大学を卒業していて、英語、フランス語が話せる人は永住権が通りやすいと言われていました。
ただ、職歴がないとポイント加算が0なので、永住権申請基準点に到達できなかったので、
じゃあ日本でまず職歴を作ろう!と思って帰国しました。
いざ日本に帰国したら、色んな素敵な巡り合わせがあり、
日本の方が居心地が良くなっちゃったっていう感じです(笑)
ー海外に行くまでにどんな準備をしましたか?今振り返ってみて、した方が良かったなと思うことはありますか?
高校3年生の時にニュージーランドに行ったとき、
ホストファミリーにすごく可愛がってもらえたのに自分の言いたいことが伝えられなかったジレンマがあったので、
とにかく英語力を上げたいと思っていたことと、TOEFLのスコアがないと大学に入れないので、英語の勉強にとても力を入れていました。
カナダで受け入れてくれたホストファミリーは、20年ぐらい日本人の留学生を受け入れている方だったのですが、
留学し始めの頃、「Tomomiは、今まで受け入れた学生の中で一番英語が聞けてるし話せているね!」と言ってもらえたり、
現地の会話が8割方は理解できる感覚が自分でもあり、国内で英語力を上げて良かったなと思いました。
今振り返ってやっておけばよかったことで言うと、
当時は日本に全く興味が無くて、日本のことを何も知らないまま行ってしまったんですね。
現地では、日本から来ているから当然知っているでしょって感じで、
お茶とかサムライとか武道とか、日本の文化についてよく聞かれたのですが、答えられなくて…。
折角会話するきっかけをもらったのに、自分の知識が無いために話が膨らまないという経験を度々したので、
事前に日本の文化を勉強しておけば良かったと思いました。
フランス人は議論好きなので、フランスにいた時は、日本の政治についてどう思うかよく意見を求められたし、
カナダでは、刀やサムライ、盆栽とか、茶道とか。
向こうにいる日本人がイベントでよく紹介しているので、馴染みがあるようで、よく聞かれましたね。
海外の人にとっては、『日本から来た人=日本の代表』みたいになっちゃうんだなと思いました。
ー実際に現地ではどのような経験をしましたか?またその経験は今のご自身にどう繋がっていますか?
カナダでの経験が、今の自分の指針になっているなというのは感じます。
現地ではホームステイをしていたのですが、ホストファーザーとホストマザーが本当に人間として出来た方で。
ホストファーザーは牧師さんだったのですが、どんなに多忙でも、人に手を差し伸べることを断らない方で、誰に対してもオープン。
ホストマザーもいつもニコニコしていて、絶対に怒らない。ユーモアのセンスがあって周りを明るくする方で。
彼らと過ごした日々から一番学んだのは、お金の使い方ですね。
よく客人が遠方から遊びに来ていたのですが、ホストファーザーは客人には絶対お金を払わせなかったですね。
例えばトロントから来た客人がお会計の時にお金を出そうとすると、
「トロントのお金はここでは使えないから」って言って断るんですよ。
それってすごくいいなと思って。
ちょっとハハっと笑わせるような、相手に気まずい思いをさせず、お金を使わせない。
それがすごくカッコイイなあと思って私も帰国してから実践しています。
また、私のカナダ人の友達もクリスチャンが多くて、すごく優しくて世話好きな方が多くて。
日常の色んなことを親身になって手助けしてもらって。
私も日本に戻ったら、今度は海外から来た困っている人を助けたいなと思っていたところ、JICAとのご縁をいただいて、
恩送りのようなイメージで、ここぞとばかりにお返ししました!
ー帰国してからのキャリアについてもお話を聞かせてください
帰国後は1年間英会話講師をして、その後、
愛知で開催された万博の外国館の受付を半年間やっていました。
万博が終わって就活しなきゃなと思って登録した派遣会社からある日、
「名古屋市内で国際協力のお仕事がありますが、もし国際協力に興味があったらどうですか?」と電話をいただいて。
その時の私は国際協力に興味は無いけど、とにかく英語が使える仕事を探していたので、
どの程度英語を使う仕事か派遣会社に確認したんです。
すると「業務上英語を使うことはほとんど無いけど、外国人が近くにいる環境だから休憩中やお仕事終わりにその辺を歩いている外国人とお話ししたり仲良くする分には全然構いませんよ、むしろ仲良くなってください!」と先方が仰っているとお返事いただいたので、
ちょっと面白そうだなぁと思って。
迷っていた時に母から「仕事は業務内容よりも環境だよ」って言われて。
周りで働いている人が良ければ長続きするからと言ってくれたんです。
派遣会社からは「職場見学が1回できます。」と言われていて、まぁ職場見学という名の面接だったんですけど、
私はそんなことも知らずに本当に職場見学だと思って、実際に職場を見て良さそうだったら入ろうと思って職場見学に申込みました。
最初面接官は、全然私を見てくれなくて、終始床を見て話してました(笑)
全然興味持ってもらえてないかなと思ったのですが、一通り業務説明が終わった後にふと、
「ところであなたは発展途上国に興味はありますか?」って聞かれて。
実は面接の1ヶ月前に初めてアルゼンチンに旅行に行って、すごく良かったなぁという気持ちのまま面接に行っていたので、
「先月アルゼンチンに行ってすごくよかったので、今中南米に興味あるんです」って答えたら、
今まで床を見ていた面接官の目が急に私にロックオンされて(笑)
話が一気に盛り上がって、とんとん拍子に話が進んで、
「じゃあいつから来れますか?」と(笑)
JICAでの最初のお仕事が決まり、その後12年間続くご縁になりました。
ー具体的にJICAではどんなお仕事をしていたのですか?
JICAって青年海外協力隊とか日本人を発展途上国に派遣する事業が有名だと思うのですが、
実は逆もやっていて、発展途上国から警察官や行政官などいわゆる各国の若手国家公務員を日本に招聘して、
日本の技術を教える研修をして、その技術を持ち帰ってもらって自国の発展に繋げてもらうという研修員受入事業もやっているんですね。
私はそちらの研修員受入事業に12年間携わっていました。
最初の派遣会社から紹介された仕事の内容は、
来日する研修員のデータ管理や来日後の宿泊先の手配、職員の経理面でのサポート業務などをアシスタント業務がメインでしたが、
周りの職員の方々が私の英語力に気づいて、翻訳会社に出すほどじゃない翻訳作業や、研修員や派遣国とのやり取りなど、
当初は予定されていなかった英語の業務を任せてもらえたのでとてもありがたかったですね。
名古屋の中部国際センターで働いた後、東京国際センターで研修員の福利厚生担当をしたり、
横浜国際センターでは日本の大学院に長期留学に来る研修員の来日から帰国までのサポート業務などをしていました。
ー外国人と円滑にコミュニケーションを取るために、気をつけていたことはありますか?
アイコンタクトと笑顔で信頼構築をすることですね!
特に長期留学生の来日時オリエンテーションをする時に気をつけていたことなのですが、
初対面の場で積極的にアイコンタクトを取りに行くんです。
目が合ったら、微笑みかける。
そうすると、向こうも大体微笑み返してくれるんです。
それを1時間半のオリエンテーション中に繰り返すと、終わる頃には大体信頼構築出来ています。
あまり目をみてくれない子に対しては、話を振ったりして無理やりアイコンタクトの機会を作りにいく(笑)
そうすると、最後の方には少しずつ心を開いてくれるんです。
あとは、イスラム圏の方には有効では無いですが、
握手とかスキンシップを積極的に取っていましたね。
挨拶や自己紹介の時は必ず手を出して握手するとか。
そういう習慣はカナダにいる間に自然に体得していたように思います。
ー海外を舞台に働いた経験を通して、日本人がもっと意識した方が良いことなどあれば教えてください
JICAで働く職員さんなどを見ていて感じたことは、
留学経験がある方は別として、外国人に対して構え過ぎているというか、壁を作ってしまっている方が意外に多いなという印象がありましたね。
ちょっと言い方が難しいところではあるのですが、
発展途上国の方って悪気は無くても保身の為に無意識に嘘をついちゃう子も中にはいるんです。
なので、そういう途上国の現状を目の当たりにしている職員さんは研修員のことを信用してなかったりする方もいらっしゃいました。
私が心がけていたのは、肌の色やバックグラウンドに関わらず、その人の本質に向き合うこと。
だから、私と宗教が全く違う人でも、感性が似ていて共感することがあったり、
そうすると日本人の友達よりも分かり合える人がいたりとかして。
もちろん言葉の壁はありますが、
外国人としての壁を作らず、最初から壁を取り払って同じひとりの人間として向き合う感覚を培うことが出来れば、
もっと良い関係を築けるのではないかなと思います。
自分がオープンマインドであれば、最初は閉じている相手でも開いてくれる可能性が大きい。
相手がオープンであれば良いけど、こっちが閉じていると相手も閉じたままなので。
もちろん、結局最後まで閉じたままというケースもありますが、
閉じていた相手が徐々にでもオープンになってくれると、嬉しいですよね。
ー最後に、これから海外に留学やワーホリ行く人に、知っておいて欲しいことを教えてください
日本人のアイデンティティをはっきりさせて行った方が受け入れられやすいかな。
自分の意見を持って、それを相手に伝えようというマインドで行くと、
よりコミュニケーションが取りやすくなり、相手との信頼関係を構築しやすいと思います!
カナダの語学学校で最初に先生に言われて印象に残っているのが、
日本語の会話と英語の会話には決定的な違いがあって、同じスポーツをしていないんだよ、と。
スポーツで例えると日本語の会話はボーリングで、
スピーカーがボールを投げるのをオーディエンスはみんなで見ていて、おぉ〜と拍手する感じ。
でも英語の会話はバトミントンなんだよ、と。
打ち返されることを期待して相手が話しているということを意識して会話に参加すると良いかなと思います。
私自身も最初はカナダ人同士の会話をよく観察していました。
どうボールを投げて、どう返すんだろうと。
自分だったらどう返そうかとか、質問を考えながら聞くようになりましたね。
それは今セラピストとして仕事をする中でも、相手の言葉を引き出すことが大事なので、
そこで培った経験が生きているなと感じています。
いかがでしたでしょうか?
両親の反対があり長期留学がすぐに実現出来なくとも、短期留学に挑戦するなど出来ることをひとつずつ積み上げていったTomomiさん。
だからこそ、カナダで密度の高い時間を過ごすことができ、培った経験がご縁として未来に活かされているのだと感じました。
ワーホリ国際大学校(WIU)では、このように留学やワーキングホリデーを経験し、その経験を活かして自分らしく活躍している方へのインタビューを行っております。なぜなら私たちは、実際に経験している人の話を聞き、知ることで、将来のキャリアに対してのアイデアを広げることができると考えています。知らないことは思いつきません。他の方のインタビュー記事や動画も是非見てみてください!
WIUは、あなたのやりたいを実現させるために存在します。一人ひとり夢は違うので、みんなが同じように語学学校などに行ってもやりたいことはなかなか叶いません。だからこそ、あなたが興味を持っていることから満足のいくキャリアを築けるようにサポートさせていただきます。まずは気軽にご相談ください!きっと今思っているワーホリとは違う提案ができると思います。